教会に寄せられるさまざまな質問を掲載しています

クリスチャン(信者)ではないのですが、教会へ行ってもかまいませんか?

はい、大歓迎です。現にクリスチャンでない方も礼拝やその他の集会に出席されています。私たちはあなたのお越しを心からお待ちしております。どうぞお気軽にお越しください。

礼拝では何をしているのですか?

一度、来て見てください。礼拝では、賛美を歌い、聖書のメッセージを聞き、神に祈りをお捧げしています。また、礼拝のなかで自由な献金があります。聖書や聖歌は教会に備え付けがありますので、お持ちでない方はご利用ください。

礼拝にはどんな服装で行けばよいですか?

特に決まりはありません。普段外出されるときの服装でかまいません。

教会に行くと洗礼を強要されるようなことはありませんか?

日本において一般に「洗礼」と呼ばれている儀式は、新約聖書の原語であるギリシャ語の「バプテスマ(「浸す」の意)」から来ており、私たちの教会では、これをそのままバプテスマと呼ぶか、あるいは「浸礼(しんれい)」と呼んでいます。聖書によれば、バプテスマとは、イエス・キリストを信じた人が、その信仰を目に見える形で証しするためのものです。ですので、まだ信仰を持たれていない方に、私たちがバプテスマを強要することは一切ありません。

小さい子供を連れて礼拝に行くことはできますか?

はい、できます。乳幼児がおられる方のための母子室があり、スピーカーから流れる音声で礼拝に参加することができます。ベビーベッドの用意もございますので、必要な方は事前にご連絡ください。少し大きなお子様の場合は、お子様だけを別室でお預かりすることもできます。

駐車場はありますか?

20台分ほどの駐車場がございますが、スペースに限りがありますので、できるだけ公共交通機関をご利用ください。お車でお越しの場合は、事前に教会までご連絡いただければ幸いです。

車椅子で教会に行くことができますか?

当教会は完全にはバリアフリー対応できておりませんが、できる限りのお手伝いをさせていただきますので、どうぞお越しください。玄関入口部分はスロープになっていますが、会堂内は段差のある箇所があります。また、トイレは車椅子に対応しておりませんので、必要に応じて介助させていただきます。お越しの際は、事前にご連絡いただければ幸いです。

教会って何ですか?

今日、多くの人たちは教会を「建物」のことだと理解していますが、これは聖書が教える理解とは異なっています。「教会」と訳されている言葉は、ギリシャ語の「エクレシア」という言葉であり、「集会」または「呼び出された者たち」という意味があります。ですので、教会の根本的な意味は、建物のことではなく、そこに集まる人々のことなのです。聖書によれば、教会は「キリストのからだ」であると教えられています。つまり、イエス・キリストに信仰を置き、神の救いに与った人々の集まりこそが、「教会」という言葉の本来意味しているところなのです。

聖書って何ですか?

「聖書」(Bible)という言葉は、ギリシャ語の「本」(biblia)という意味の言葉から来ています。聖書は時を越えた、すべての人のための本ですから、まさにぴったりの名前であると言えるでしょう。聖書は他に類を見ない本なのです。

聖書は主に2つの部分に分けられています。「旧約聖書」と「新約聖書」です。簡単に言いますと、旧約聖書には、イスラエルという民族をとおして現わされた創造主なる神の救いのご計画が記されており、新約聖書には、そのご計画が神の御子イエス・キリストの十字架と復活という歴史的事実をとおして成就したことが記されています。

聖書は全部で66巻(旧約39巻 + 新約27巻)の書物から成り立っています。そこにはレビ記、申命記のような「律法の書」。サムエル記、列王記のような「歴史書」。詩篇や伝道者の書のような「詩書」。イザヤ書やヨハネの黙示録のような「預言書」マタイやヨハネのような「福音書」。ローマ書やヘブル書のような書簡(正式な手紙)が含まれています。

聖書はおよそ40人の著者たちによって、約1500年に渡って書かれました。著者のなかには王や祭司、政府の役人から、漁師、農民、羊飼い、医師と、実にさまざまな人々がおります。これほど多様な人々が、信じられないような一致をし、一貫した共通のテーマが書き出されていったのです。

聖書の一致は、究極的に、聖書にはただひとりの著者がいて、それは神であるという事実に基づいています。聖書は「神の霊感によるもの」(IIテモテ3章16節)とあります。人間の著者たちは、神が願われるとおりに書いたのです。ですから、聖書は聖なる完全な神の言葉なのです。