罪と法律の関係

「罪」という言葉を見ると、窃盗や詐欺、暴力や殺人などといった犯罪行為をイメージされる方が多いのではないでしょうか。なぜ、これらの行為が罪であるかと言うと、法律で禁じられているからです。

どこの国にも、さまざまな法律(ルール)があります。法律がなければ、人は皆、好き放題に生きるようになり、社会は混乱してしまうでしょう。法律があるからこそ、社会に秩序が生まれ、そこに住む人々は安心して生活することができるのです。

罪とは、簡単に言えば、定められている法律に反することだと言えます。

聖書が教える罪

次のようなことばが聖書に記されています。

【伝道者の書 7:20】
この地上に、正しい人は一人もいない。善を行い、罪に陥ることのない人は。

ローマ人への手紙 3:23
すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず…

聖書は「正しい人は一人もいない」「すべての人が罪を犯している」と言っています。つまり、この案内を書いている私も、この案内を読んでくださっている皆さんも、一人残らず罪があると聖書は教えているのです。

「ちょっと待ってくれ!私は罪を犯したことなんかないぞ!」。このように思われる方が、ほとんどではないでしょうか。確かに、皆さんは国の法律をきちんと守って生活されていると思います。日本の法律に照らし合わせてみるならば、罪は無いと言えるでしょう。

しかし、聖書が教えている罪の基準となるのは、日本の法律や世の中の法律ではありません。この世界を造り、私たち人間をも造られた神様ご自身が基準なのです。つまり、聖書に書かれている罪とは、神様が定められた基準に反していることなのです。

人間本来の的を外した生き方

新約聖書は当時の世界の公用語であったギリシア語(コイネー)で書かれています。日本語で罪と翻訳されているギリシア語は「ハマルティア」(amartia)で、「的を外す」という意味があります。

創造主なる神様は目的を持って人間を造られました。人間は本来、神が定められた目的に従って生きる存在だったのです。しかし、はじめの人間アダムとエバは神の命令に背き、罪を犯してしまいました。それ以来、アダムとエバの子孫であるすべての人間が、神から離れて生きる罪人(つみびと)になってしまったのです。

生まれながらの人間は神を知らず、神から離れて歩んでいます。神に従うのではなく、自分の考えやこの世の価値観を第一として歩んでいます。言ってみれば、人間は自分自身を神のようにして生きていると言えるでしょう。

このような神が意図された人間本来の目的を外した生き方。神を神とせず、自分自身を神のようにする生き方こそが、すべての人間が持っている罪なのです。

では、人間が罪を犯した結果、どのようなことが起きたのでしょうか。続きは次回更新予定の「罪の結果」でお話ししたいと思います。